蠟彫刻に関するノート


自分にとっての芸術理念とコミュニケーション

 自分が美術大学に在籍した1984〜88年頃は現代美術が盛んでした。「コンセプト」という言葉を出せばガラクタの様な作品の評価が上がり、石や流木を敷き詰め、雑に型取りされた手足を並べるだけでも「インスタレーション」と言えば成り立ってしまう。現代美術用語を使えば、質は問われないのかと疑問に思い、全く興味が持てませんでした。バブル景気のせいか、テレビや雑誌でも「アート」という言葉が目につきました。自分がやりたい事は彫刻であり、カタカナの「アート」でも、理屈先行の現代美術でもない。「文字文化」に対抗し得るのは「手作業」だと考えていました。現在でもこの思考は基本にあります。
 「出来るだけ知らない物を、見る、聞く、読む」これは、日常的に心がけている事です。もう一つ加えれば、「知らない人と一人でも多くコミュニケーションをすること」です。芸術とは様々な物を見て、聞いて、読んで、日常に取り込み、そこから何かを掬い上げ、形にする物だと考えています。
 10年程前、友人から聞いた話ですが、ある劇画原作者が教え子達の作品を評して、『君達の作品からは、漫画を読んだ影響で漫画を描いてることしか伝わらない。自分の日常経験から何かを掴み出さなければ、漫画は成立しない』と、言っていたそうです。共感を覚えたと同時に、なぜ自分が現代美術に拒絶感を抱いていたのか解った様な気がしました。同世代の美術家が、現代美術を見た影響で現代美術を作っているようにしか思えなかったからなのです。そうでない作品があることも、今なら解るのですが。作品制作に限らず、インプットしたコミュニケーションを作品に昇華し、さらに作品を通してコミュニケーションをアウトプットする。この循環がコミュニケーションの理想の形であると思っています。

蠟彫刻の始まり

 美大の彫刻科を卒業して2年以上経過した頃、グループ展の話が来ました。友人の紹介で蠟人形制作会社に勤め、毎日蠟人形を手掛けて技術を習得するにつれ、「この技術を応用して作品が出来ないだろうか」と考えていた頃でした。彫刻とは「硬質な劣化しにくい素材で作った方が良い」し、「表面処理や着色も大切だけど、形態が一番重要」で、それには「大きな作品を作った方が良い」という、美大教育の思い込みがありました。彫刻制作は材料や時間よりも、まず場所を確保することが重要です。少ない給料で作業場を借りるのは困難で、多くの人がそこで躓く様に、自分も彫刻をやっていく事を諦めかけていました。
 蠟作業は、樹脂やFRPと違い匂いも出ない。ヘラで成形が出来るので音も出ない。狭いアパートでも、ガス台と机があれば、彫刻が作れるかもしれない。手探り状態で蠟彫刻の試作を始めると、「蠟は柔らかく植毛が可能で、輪郭をぼかすことで素材感を無くす」ことが出来、「表面処理や着色の要素が、形態に与える視覚的影響は大きい」ので、「小さな物でも密度を上げることで、スケール感が無くなる」ことが解って来ました。それは全て、美大で教わった彫刻概念と正反対のことでした。自分の考えは思い込みだった事に気付き、グループ展に向けて制作を開始しました。1990年春、木造アパートの台所でのことです。

エロ本界の『美術手帳』

 そうして制作した作品の写真を『S&Mスナイパー』という雑誌に持ち込みました。美術家としては変わった選択だったと思います。自分自身、ギャラリーへ足を運ぶよりも、雑誌や書籍等の複製媒体に馴染みが深かったこともあり、展示空間で発表するよりも複製媒体で写真を見せることの方が手っ取り早いと安易に考えていました。『S&Mスナイパー』という雑誌は、作家陣が潤沢な上にデザインセンスも非常に高く、自分の中では、エロ本界の『美術手帳』と位置づけておりましたので、作品が掲載されることは大きな喜びでした。しかし、その発表方法は、それなりの反響と同時に、それを上回る誤解を引き起こす要因にもなってしまいました。「エロ・グロ好きの猟奇的オブジェ」的な捉えられ方でクローズアップされ、はからずも、そちらの方向に大きく舵を振ってしまいました。自分は、「グロ」にも「猟奇」にも殆ど興味がありません。確かに「性的」には見えるかもしれません。しかし自分の中では、日常の中で見い出したエロティックな形状に、様々な要素を足し引きした結果出て来た形態であり、その制作方法もあくまで全体の一部でしかないのです。そのニュアンスが上手く伝わらず、常に歯がゆい思いをして来ました。
 「エロ」は大変難しいジャンルです。過去に「あからさまなエロ」を試みたこともありましたが、原型段階で頓挫し完成に至りませんでした。どうしてだか、「エロ」を目指すと「グロ」になり、「グロ」を目指すと「下品」になります。絵画や映像、あるいは文章を書いた人にも経験があると思いますが、何かを「狙って」しまうと、その隣にある落とし穴に落ちる事が良くあります。
 また、『S&Mスナイパー』掲載に前後して、数人の写真家が興味を持ってくれて作品を撮影してくれました。それは、自分の作品の記録というよりも、写真家の作品としての要素が強いもので、なぜか「局部アップ」的な写真が多くなりました。今思えば、写真に対してあまり頓着していなかったので、演出やアングルによる情報効果の影響力を甘く考えていたのです。それでも「この作品は、ある程度広い空間に設置した所を想定している」と説明すれば、見る人もその空間を想像してくれると思っていたのですが、こちらの思惑通りにはなかなか受け止めてもらえません。マイク・オールドフィールド『チューブラ・ベルズ』A面25分の組曲がシングル盤サイズに編集されて、『エクソシストのテーマ』になった様な違和感、と言えばプログレッシブ・ロックに詳しい人は解ってくれるでしょうか。

フランク・ザッパと新たなる仕事

 4年近く勤務した蠟人形会社を辞めた頃、「東京タワーにフランク・ザッパの蠟人形がある」という噂を聞き、1992年に東京タワー蠟人形館を訪れました。
 食費を切り詰めてもレコードを買う自分にとって、フランク・ザッパは特別な存在です。サイケデリック・ロックからブルース、ジャズ、クラシック、現代音楽からコミックソングに至るまでを、超絶テクニックで串刺して、辛辣な政治風刺や性的な歌詞で観客に突きつける。膨大な数のアルバムのクォリティは高く、「芸術的な物の見方」は美術より、ザッパを始めとする色々な音楽で学びました。
 しかしそれ程一般的ではないザッパの蠟人形が東京タワーにあるのは、何かの手違いに違いないと思いながら蠟人形館に行くと、ザッパ人形は本当にフランク・ザッパとして、堂々と展示されていました。しかし作りが少し粗かったので、数日後電話をしてみました。「先日、蠟人形館を拝見しましたが、フランク・ザッパの人形が置いてありますね。去年まで蠟人形会社で働いていまして、ザッパ人形をグレードアップさせて頂けないかと電話しました。ザッパはもう少し肌の色が濃く、眉毛もつながり、鼻も少し曲がり、ヒゲ剃り跡もまばらで、左頬にホクロがあります。以上は細かい所でして、根本的に骨格を整形し、髪は全体にウェーブをつけて…」と言った会話の後、蠟人形館を訪社。社長がロックマニアな上、ザッパのファンで海外に発注したと言うので驚きました。技術試験として蠟人形を数体修理し、2、3ヵ月後には待望のフランク・ザッパのリメイク(整形)を手掛けました。
 後にフランク・ザッパの長男、ドゥィージル・ザッパが、ある日本人ミュージシャンのツアーギタリストとして来日中に、深刻なホームシックになった話を聞きました。スタッフが考慮し、東京タワーの蠟人形を見せたそうです。ドゥィージルは人形の出来に感動して涙を浮かべ、「父が見守ってくれている」と元気になり、後の日程は無事に消化出来たそうです。音楽好き、ザッパ好きにとっては嬉しい話でした。
 この仕事の開始時点では、以降18年の生活の糧を蠟人形の整形で得るとは思いもしませんでした。蠟人形の仕事をし、時間を縫って蠟彫刻作品を手掛けました。この時期は蠟人形でトレーニングを積み作品に昇華させていた状態で、どちらか一方が欠けても成立しませんでした。

動きを凝縮する

 作品を作ることが「小説」を書くことだとすると、蠟人形を実在人物に似せるという作業は「翻訳」です。
 そして、蠟人形の整形は似てない人形をモデル本人に似せる作業です。それは一から作って似せるより難しい作業かもしれません。パッと見の印象で、本人より目が小さいと感じたとして、その原因が実は目ではなく骨格が一回り大きいことに起因しているにも関わらず、目を大きく見開かせてしまったりすると、よけいに遠ざかってしまうという様な罠に陥ります。そのため、パズルを何ヵ月もかけて解く様に、膨大な資料と見比べミリ単位で顔を解析します。ところが写真資料を忠実に再現しても、写真には似るのですが本人には似ないのです。これが蠟人形の面白くもあり困難なところです。
 「似せる」とはどういうことか、考察して見ます。
 極端な例をあげると、米国の歌手サミー・デイビス・Jr.のアゴは、かなり長いもののそれ程前には突き出ていません。しかしCM等の影響により、人々の記憶の中で、どんどん前へ突き出し「成長して」行くのです。
 マリリン・モンローの写真集は多数ありますが、蠟人形資料の視点で「モンローの顔をしたモンローの写真」を探すと、10冊中5、6枚しかありません。そこから更にそのまま蠟人形にしてもモンローに「似る」写真を選ぶと、良くて1、2枚です。それ以外の写真は、「モンローの顔をしていないモンローの写真」なのです。蠟人形資料の観点では「良い写真」と「良い資料」は全く別物です。
 蠟人形を「似せる」とは、モデルになった人物の人生やファンの想いを凝縮し、観客脳内のパブリック・イメージ像に「似せる」ことです。美術予備校時代にニワトリやウサギの塑像実習で、最もその動物の特徴が出ている瞬間の動きを見極め、塑像として固定化した作業にも通じます。但し、動物と違い実在人物の場合に注意すべき事は、特徴を「いかに自然に強調・ディフォルメするか」です。サミー・デイビス・Jr.の場合、「いかにアゴを突き出させずに、突き出して見せるか」ということになります。

現代美術と蠟人形の接点

 更に色々な事に気付いたのが、マリリン・モンローの写真です。かなり探しても良い資料が見つからず、混乱してきたので、色々な人の意見を聞きました。そこで、モンローの映画に格別思い入れの無い世代が考える肖像とは、どうやらアンディ・ウォーホル制作のシルクスクリーン作品を指していることに行き当たりました。そして次に、そのシルク作品と同じ様な写真を探すと、何故だか不思議と存在しないのです。ある意味米国を象徴する現代美術家、アンディ・ウォーホル作品に於けるモンローは、蠟人形に於ける資料選びと同じ観点で、「かつて人々が頭で思い描いたマリリン・モンロー」が、新たに「創造」されている事を発見しました。そうして制作された肖像が「現在人々が頭で思い描いているマリリン・モンロー」に格上げされ、定着して行ったのです。
 この考察で、現代美術と蠟人形の距離が少し近付きました。現代美術用語で「レイヤーを増やす」と言う言葉があります。現代美術目線のレイヤー「象徴としてのモンロー」と、蠟人形資料としてのレイヤー「実体よりも人々が頭の中で思い描いているモンロー」が交差しました。美術作品制作に於ける様々な発想も、蠟人形制作の多数の写真資料も「レイヤー」です。両方共、数があれば良い訳でもありません。吟味した「レイヤー」を重ね、自分自身の考察を加え、最終的に「動きを凝縮する」事で対象を串刺しにして、説得力のある美術作品や蠟人形が完成するのです。

過去の作品展示の違和感

 非常に少ない回数ながらも、仕事の合間を縫って、何度か作品の展示してきましたが、写真の時と同様に、作品をどう見せたいかということにあまり頓着しない展示法をしてきた様に思います。
 狭いギャラリーでは、展示法が限られます。壁付け展示法は、空間を占領せず、鑑賞者がぶつかること等による事故を防ぐという利点はありますが、作品の裏側や壁側が見づらくなるという問題があります。当然ながら、立体作品は、周囲360度から見る事や床から見上げる視点さえ想定しながら作っています。ところが、壁付け展示法だと、その視点の何割かが消失してしまいます。
 また、ギャラリーの照明は白熱灯のピンスポットライトが多く、全面蛍光灯のギャラリーは滅多にありません。蠟彫刻の着彩法はかなり特殊です。まず蠟自体に絵具を溶かし込み、ある程度地色を着けた上に、筆で絵具を少量着けて拭き取り、それを微妙に色を変え何度も繰り返します。塗るというより、染み込ませる感じです。その後は微量の絵具を筆で叩くように塗り重ねたり、薄く溶いた絵具を筆で飛ばしたりします。最終的に絵具の表面層から、蠟の地色までが階層になって透ける着彩を施しているので、白熱灯のピンスポットライトでは強すぎて、色彩に於いても見せたい色の何割かが消失してしまいます。結果、形も単純に見え、影は必要以上に黒くなります。
 蠟彫刻作品は蛍光灯のフラットな光が一番映えます。精神科医の斎藤環氏が『世界が土曜の夜なら』(角川書店)の中で、『白熱灯などの「点光源」はいってみれば一神教における「神の視点」のようなものである』『これに対して「日本的な光」というのは、しばしば点ではなくて面全体から発せられる。提灯とか行灯とか障子とかもそうだが、僕たちには「面光源」への偏愛がある』と、書いています。今思えば、ある種のギャラリーや現代美術作品に対し近寄りがたさを感じていたのも、そこに漂う一神教的な押しつけがましさに息苦しさを感じたからかもしれません。何でも西洋的な視点で物事を見たり、あるいはそれに対立した意見に盲従するなどの単一眼的な判断は、美術に限らず様々なコミュニケーションの循環を途絶えさせてしまうと思います。

「自分の知らないもの」

 現代美術に興味は無かったものの、村上隆氏は以前からファンでした。村上氏の作品は現代美術の知識が少なくても理解出来る所があり、自分なりに共感していました。勝手な解釈ですが、村上氏は現代美術作家というより、「何かを戦略的に仕掛け、新しい発見を提示する人」で、「その為の技術を常に向上させている人」であり、「美術界の真ん中に居て、そこに定住しない人」なので、「何故か一般的には理解されにくい人」だと思います。こう書くと、フランク・ザッパとの共通点を多く感じます。
 自分勝手な見解をもうひとつ書けば、「難解な事を解りやすく出す人」だとも思います。「解りやすい事を難解に出す人」は多いのですが、「難解な事を解りやすく出す人」は滅多にいません。村上氏の動向を見ると、解りやすさとは「誤解されてもいい」と、開き直れることに思えます。村上氏の著書『芸術起業論』(2006年/幻冬舍)、『芸術闘争論』(2010年/幻冬舍)は何度も読み、心が挫けそうな時の指針としています。
 2008年には、小山登美夫氏の『その絵、いくら』(講談社)という本を読みました。今までにこれほど興味深く現代美術の書籍を読んだ事は無く、気づくと続けて10冊程美術関連の本を読んでいました。「出来るだけ知らない物を、見る、聞く、読む」という理念があったにも関わらず、大学を卒業してから20年かかって、ようやく現代美術という「自分の知らないもの」に辿り着きました。
 一旦現代美術に興味を持つと、長年所持しているLPやCDで難解だと敬遠していた音楽も、「現代美術の“もの派”と同じ発想なのでは」「この騒音部分はノイズでは無く、平面作品に於けるコラージュなのでは」といった聞き方が出来ました。以前から難解と言われるバンドのテキストを読むのが好きだったので、現代美術関連の書籍も自分なりの解釈が出来ました。反対に現代美術作品も、「この作品はあのアルバムとコンセプトが同じでは」「二つの事を同時進行させている構成は、あの曲の構造と同じでは」と見ることが出来ました。「音を形にする」という事もまた、理念にしてきたので、それに少しだけ近づけた気がしました。現代美術というフィルターを通し、映画や写真や文学等、今までバラバラだったものがまとまって来ました。

「仕事の手」と「作品の手」ーー「寄り」から「引き」へ

 蠟人形の魅力に取り憑かれて、気付くと122体もの蠟人形を手掛けていましたが、2009年末に東京タワー蠟人形館の仕事を辞め、今までの技術を活かそうと作品制作を再開しました。新たな決意で取組んだのですが、作品に満足が行きません。「作品が作れなくなった」のではなく、「作品を仕上げるクセがついてしまった」のです。長年時間に追われて仕事をすると、期限までに納品する気持ちが働きます。時間に追われてないのに、仕上げたい気持ちが先走るのです。自分でも予想しなかった事で、手が「作品の手」では無く「仕事の手」になっていたのです。長年のクセは簡単には取れず、手がある法則に乗っ取って無意識に動いてしまうのです。元々作品制作には時間がかかる方なので、スピードアップは一見良い事と思われそうですが、自分自身が満足出来無いのでは本末転倒です。しばらくの間、「作品を仕上げるクセを取りながら、作品を仕上げる」日々が続き、戻すのに2年近くもかかりました。
 限られた時間内で蠟人形を仕上げる時にも、視点を「寄り」にして勢いで仕上げる時がありました。このクセを戻すべく制作していると、無意識に「引き」視点で作品と向い合っていました。蠟彫刻を作り始めた頃は、「寄り」気味に見せたい形態も多少はありましたし、空間もせいぜい6〜8畳位を想定していましたが、ここ数年で完成させた作品を見て、さらに広めの展示空間を想定していることに気づきました。
 『別冊太陽 続 春画』(平凡社)の中で『鈴木春信が、男女の姿だけでなく、その周辺も表現した「引き」の視線だったのに対し、葛飾北斎はとにかく男と女、二つの肉体の絡み合いを描こうとする「寄り」の視線であった』と、あります。偉大な絵師二人を例えに出して恐縮ですが、北斎的な「寄り」から、さらに空間を意識した春信的な「引き」へと、自分の視点が変化していることを感じました。

蠟彫刻の制作過程と「ノイズ的要素」

 ある空間に彫刻を置くことは、すでにインスタレーションだと思います。その際に重要になるのが作品の「質感」です。「質感」に対する意識が希薄だと、「空間を支配する」ことも、「空間との調和を産み出す」ことも不可能です。蠟彫刻作品の製作法や着彩法から来る「質感」はかなり特殊です。
 蠟彫刻の制作過程を簡単に説明すると、まず粘土原型を作り、シリコンで型取りします。次に溶かした蠟を流し、硬化したら型から外します。ここまではある種の造形物や、特殊メイクの本にある一般的な技法です。その後ヘラで表面を仕上げますが、その際心がけている事は、「いかに蠟の表面にノイズ的要素を残すか」です。蠟を流した時には気泡が発生し、シリコン型の微妙な歪みで凹凸が生じ、不純物が表面に出る事もあります。それら「ノイズ的要素」を完全に除去せず、そして「仕事の手」で仕上げ過ぎない様に注意しながら、慎重に形を整えます。
 次に仕上げた蠟の表面にシワを刻みます。近付かないと解らない位浅く刻んだり、離れても解るくらい深く刻んだりと、形態やその後のメイキャップの方向性により、バリエーションがあります。人間の細かいシワを観察すると網目状に交差しています。そこでリアリズムを重視し、作品に網目状のシワを刻めば良いという訳ではありません。蠟人形にも共通した事ですが、網目状のシワを刻んだ場合、光によっては視覚情報としてのシワが先に目に入り、視線が蠟本体に辿り着かない場合があります。つまり「ノイズ過多」状態です。シワは、仕上げた表面を次の段階のメイキャップに導く大切な過程です。シワがあることで絵具が蠟に馴染む効果もあり、形態段階で最終の「ノイズ的要素」を微調整する役割もあります。時にはありえない不自然なシワまで、「ノイズ的要素」として刻むことがあります。

「動的平衡」状態と「質感」

 メイキャップに関して捕足をすると、この作業は「蠟の表面にノイズ的要素を拡散させる」ことを心がけています。闇雲に拡散させるだけでは、「ノイズ過多」状態になるので、形態や部位に合わせて異なった着彩法を施します。
 生物学者の福岡伸一氏が小説家の川上未映子氏との対談で、『実は生物には固定した「輪郭」というものもないんです。皮膚の表面だって無限に解像度を上げていけば、分子が猛スピードで出たり入ったりするのが見えるだけです。CGのアニメーションがどんなにリアルに作ってあっても嘘くさく見えるのは、切断された輪郭線があるからなんです。だからCGをさらにリアルにするためには、界面でミクロな出入り、つまり動的平衡が生じている処理を発明すればいい』と、発言しています。
 今までに、人体から直接型取りした彫刻作品、リアル系人形作家の作品、特殊メイクアーチストが手掛けたオブジェ、リアルドール、リアルマネキン等、リアルと名の付くものは見て来ました。それらの作品は確かにリアルですが、物足りなさも感じました。「動的平衡」状態を感じなかったのです。「シワを網目状にたくさん刻み、表面をリアルな肌色で埋め尽くすと質感が生まれる」と、主張しているかの様でした。足し算を重ねる程、「動的平衡」のバランスは崩れます。
 「分子の話」や、「CG界面のミクロな出入り」は太刀打ち出来ませんが、蠟彫刻作品の「質感」で表現したい事は、この「動的平衡」状態です。松本喜三郎氏の生人形や、マダム・タッソー製の蠟人形は、「動的平衡」を感じさせるものがいくつかありました。

植毛と伊藤晴雨

 なぜ植毛するのかと、よく聞かれます。「形に遊びを入れたいから」です。最初に書いた「輪郭をぼかすことで素材感を無くす」効果もあります。長い髪を植えた作品は展示の度に髪の配置が変化し、二度と同じ様には置けません。植毛することで不確定な「ノイズ的要素」を、更に取り入れたいのです。
 幻の責め絵師と呼ばれた伊藤晴雨という画家がいます。晴雨氏は緊縛物の縛り絵が有名で、妊娠中の自分の妻を雪の中、3時間以上も荒縄で逆さ吊りにして写真撮影し、責め絵のリアリズムを追求した人です。晴雨と言えば責め絵と思われがちですが、実は緊縛趣味よりもかなりの「毛髪フェチ」で、美しく結い上げられた島田髷が緊縛や責めを受けて、壊れていく様に心が動いたらしいのです。
 この心情は大変共感出来ます。但し「緊縛や責め」の部分ではありませんが。毛髪は不定形で不思議な物体で、50センチ位の長い毛を高密度に植毛して束にすれば、質量を持った物質になります。それを扇状に拡げると面になり、さらにそれを拡げていくと一本一本独立した毛になります。地肌が見えるような密度の薄い植毛の場合、長い毛は毛先に向かって緩やかにまとまりますが、毛の根元は地肌と毛がぼかされて混じった色に見えます。1〜5センチ位の短い毛の植毛は形態の輪郭自体がぼかされますが、近くで見ると点々とした毛穴が目に入り、また違った「ノイズ的要素」を与える事になります。
 今までに書いたことを少しまとめますと、蠟、シワ、メイキャップと作業行程を経て、最期に「ノイズ的要素」を加えるのが植毛です。作品全てに植毛していると思われがちですが、蠟の状態でバランスがとれている場合には全く植えません。「動的平衡」状態の、最後に乗せるバランスウェイトが「毛」なのです。

「スピーカーであり、マイクロフォンである」

 素材は抜きにして彫刻とは何かと自分なりに考えると、「物体と地面の関係」を表現する事だと思います。「物体と地面の関係」が上手く切り結べてないと、「質感」も「ノイズ的要素」も「動的平衡」も、最終的には結実しないのです。
 そして蠟彫刻作品とは何かと問われれば、抽象的ですが「スピーカーであり、マイクロフォンである」と答えます。「音を形にする」と書きましたが、蠟彫刻からはスピーカーのように、常に音が出ているイメージをしています。それとは逆にマイクロフォンのように、常に周囲の音を拾っているイメージもしています。「音」とは「音楽」であり「ノイズ」でもあります。「スピーカーであり、マイクロフォンである」からには、作品同士を近付けて置く事は絶対に避けたいのです。混音状態や、ハウリングを起こすからです。

「時間が静止した舞踏」

 どんな展示がしたいのかと言えば、「時間が静止した舞踏」を目指しています。通常の劇場空間は舞台と客席の間に見えない壁がありますが、実験的な舞踏や演劇で舞台も客席も無く、任意の場所で観劇出来る場合があります。その感じを想像して下さい。鑑賞者は漠然とした順路に従っても良いし、気になった作品から観賞しても良いのです。周囲から回って見たり、這いつくばって見ても結構です。
 舞踏は動きの中に時間を、それと同時に時間の中に動きを封じ込めた表現です。どの瞬間を写真に撮ってもポーズが成り立ちます。それが「動きを凝縮する」という事です。蠟彫刻作品の展示空間は、作品という演者達が生命活動の最中に時間が静止し、動きが凝縮された「動的平衡」状態と考えています。その空間に鑑賞者自身も、「動き」や「時間」として参加して、見て下さい。

「視覚のリズム」

 評論家で劇作家の福田恆存氏が『芸術とは何か』(中公文庫)の中で、『ことばは精神の存在様式であり、精神そのものである。が、同時にそれは声音としてわれわれの呼吸や、脈拍のリズムをつたえるものであり、また視覚を刺激するさまざまなイメイジをもっています』『われわれの視覚は聴覚と無縁には存在しえないし、聴覚もまた視覚と無縁には存在しえない』『ことばにせよ、色彩や線にせよ、音程にせよ、それぞれの運動はわれわれの全存在の参与を要求している』と、書いています。
 上記の引用文は1950年に書かれた、「ことば」と「リズム」についての考察です。「ことば」は「声音」を通し、「呼吸」や「脈拍」と言う「聴覚」に連動して、「リズム」を引き出します。「リズム」が「ことば」に導き出され、「視覚」や「聴覚」も刺激されます。更に「全存在の参与」無しでは、「ことば」や「色彩」や「線」や「音程」にも、アクセス不可能です。全てが連動し、巡回しているこの考察に、非常に共感しました。
 蠟彫刻は、リズム感のある作品です。それは「視覚のリズム」です。今までの展示で鑑賞者を長時間に渉り観察しました。その鑑賞法にも、一定の「視覚のリズム」があります。
 最初に、しかめっ面というか、非常にシリアスな顔で展示空間に入って来ます。その表情で空間をゆっくり見渡し、やがて作品に目のピントが合い、「はっ」とした顔になります。目が幾分大きく開きます。非常にゆっくりと神妙な足運びで、ピントの合った作品に向います。30センチ位の距離で更に大きく目が見開き、しばらく静止、まばたきの回数が減少します。数センチの距離まで顔を近付ける人や、中腰をキープした不自然な体勢で、別アングルから見ようと、周囲をゆっくり歩き始める人もいます。しばらくして表情が少し緩むと、更に個人差が出て、離れた場所から見たり、床に座る様に見上げたり、近付いたり離れたりをリズミカルに繰り返したりと様々です。一連の動作を再び繰り返す人もいます。その後、最初のしかめっ面に戻る人、にこやかな表情になる人、「ううむ」と考え込む人…。
 この鑑賞者の「視覚のリズム」は「暗黒舞踏」の演者の動きにそっくりです。おそらく当人にとっては無意識であり、それ程変な動作をした記憶も無いはずです。様々な「快楽」の一種に、「頭より体が動く快楽」があります。鑑賞者各々の「快楽」原則で作品を観賞して下さい。もちろん、「体より頭が動く快楽」もありますが。

『何を作るか』よりも、『どこに置くか』

 1999年に音楽誌『レコード・コレクターズ』の連載「レコード・コレクター紳士録」に、「失敗作レコードのコレクター」として、その自覚も無いのですが、取材を受けました。以下、少し引用します。
 『この間、熱海に行って来たんですよ。熱海でレコードが聞きたくて、ポータブル・プレイヤーを持ってなるべく汚い旅館を探して、そこに合うレコードを聞きたいって。そうやって熱海の海とホテル街を見ながら音を聞いたときは、ほんとにハマりましたね。あと家の近くに30年近く前にできた都営住宅があるんですけど、そこらを歩いているとその時代の音楽が頭の中に鳴ってくるんです。ここの前で五つの赤い風船(70年代のフォーク・グループ)を聞いたら映えるだろうなーとかって。何を聞くかよりも、どこで聞くかに向ってるところもありますね』
 十数年前の発言ですが、この延長線上に現在の思考があります。同じ言い方をすれば、『何を作るか』よりも、『どこに置くか』に向っているのです。
 今までの記述に絡めて書くと、「音を形にする」為に「動きを凝縮」して「ノイズ的要素」を入れ「動的平衡」状態を作る、までが『何を作るか』です。「物体と地面の関係」を結んだ「スピーカーであり、マイクロフォンである」作品を「時間が静止した舞踏」空間に置く、までが『どこに置くか』に該当します。

 「視覚のリズム」が「頭より体が動く快楽」を与える場所が、『どこに置くか』の最終的な解答です。蠟彫刻作品を配置した展示空間で、「暗黒舞踏」ならぬ独自のダンスを踊らせたいのです。美術に限らず音楽でも文学でも、更にはどんな表現であっても、優れた作品は鑑賞者を踊らせるものだと思っています。そして、それこそが、コミュニケーションの循環なのだと考えています。